芸能レポーターの井上公造さん『Twitter』で「本当に卑劣な仕事」といわれ反論
の感想日記です。
別にどっちとかうよりは、
良くも悪くも面白くもつまんなくも
です。
@で名指しはした
なんというか、何もなくつぶやくっていうだけよりはマシなのではないかと思ってみたりもする。
井上さんに対して言ったわけだし。少なくともやな仕事で目障りというのが単なる野次ではない。ように取れないこともない。・・・気がする。
<井上さんも応答する>
無視すればいいのに、きちんと応対する。一方通行のつぶやき同士では、発言者さんが意見変わるわけもなし、井上さん始め芸能レポーターがいなくなるわけでもなし。喧嘩っぽい感じだけど、少なくとも対話している点では評価できるように感じます。
<名乗る事の価値>
どうだろうねえ。確かに、匿名よりは名乗ったほうがいいとは思う。礼儀的な問題で。
ただ説得力というと、どうなのかね。無名の人が何を言ってもという気がするんだが( ̄▽ ̄;)
まあ、今回のような1対1の場合は、少なくとも発言者さんは井上さんの事を知っているわけだから、誰とも分からぬやつに言われるよりは、名前ぐらいは知っていてもいいんじゃね?っていうのはあるかもね。
<取材元を内緒にする>
どうなのかね。これも。不倫とか贈収賄とか悪い系のネタバレだと、情報元の人あるいは企業が被害被るから隠しておくべきなんだろうけど。あとは情報元の人が目立つの嫌とかね。
そもそも悪いことと知っているのならレポーターは記事にせずに、
もしくは情報元の人が警察に駆け込め!!
とかは、さすがに俺はいえねーなー。目立つの嫌だし、報復怖いし。
警察に褒められるよりあすの生活費。
(そういえば、こういうのの記事報酬と警察からの感謝金一封ってどっちが多いのかね。)
<本当に不要なら需要はない>
まったく、本当困らないよね多数文化もとい大衆文化はぁー。
とか言って?
うざいと思う人反面、超ウケる反面だ。
ファンは祝福したいがゆえに、
アンチは野次を飛ばしたいがゆえに
そういう情報を求めているっていう。
自分で調べるのは限度があるしねえという言い訳万歳じゃねーか。
というわけでどっちつかずちゅ~ぶらりん日記でした。
いやさ、オイラだって嬉しいニュースはおめでとうって言っちゃうし、
悪いことしたのがバレたニュースはざまぁっておもっちゃうし、
どーでもいいニュースは書くんぢゃねーよって感じるもんさ。
卑劣な仕事であっても高潔な仕事でも、変わんねーなーと言えるのが俺ら第三者のメリットでデメリットですよね。
ニュース元はガジェット通信
http://getnews.jp/
芸能レポーターの井上公造さん(@inouekozodesu)が『Twitter』にて、他のユーザーの
他人のプライベートや気持ちを勝手に解釈して報じるなんて本当に卑劣な仕事ですね。他人の恋愛観や結婚観なんてほっとけ見苦しいし目障り。
というツイートに対し、
ちゃんと名前を名乗ろうよ!ネット書き込みだけじゃ、全く説得力ないよ
と反論した。
ちゃんと名前を名乗ろうよ!ネット書き込みだけじゃ、全く説得力ないよRT @top_ota: @inouekozodesu 他人のプライベートや気持ちを勝手に解釈して報じるなんて本当に卑劣な仕事ですね。他人の恋愛観や結婚観なんてほっとけ見苦しいし目障り。古くさい芸能村から— 井上公造 (@inouekozodesu) 2014, 9月 25
そして、
未だにTwitterで、あり得ないtweetをする輩がいる。匿名で批判するなら、誰でも出来る。そもそも、他人の仕事を否定する権利なんて、誰にもない。必要とされない職業だったら、需要がなくなるはず。表面上しか見ず、感情だけで発言しても、何の実りもない。
と続ける。その後も、
「は?名前を言うと説得力出るの?意見を言うのに肩書きや氏名は重要ですか?低俗なゴシップにこそ名前や情報源を明らかにすべきだと思いますが。」
というツイートに対し
ボクは名乗っています!情報源を明らかに?あなた、取材源の秘匿もしらないの?
と反論するなどやりとりを続けた。
『Twitter』上でのやりとりまとめ:芸能レポーターの井上公造さん Twitterで卑劣な仕事と言われ反論
http://cureco.jp/view/234
井上さんに対し応援のツイートも多数寄せられ、井上さんはそれに返信するなどしていたが、一方で
芸能レポーターや雑誌なんか、隠れて写真撮って熱愛スクープとかやってるけど、それこそ匿名でやってると言ってもいいんじゃないの?そもそも他人のプライバシー、恋愛とか犯罪でもないのに報道する必要性があるんでしょうか?無いと思いますが。
というツイートも寄せられていた模様。
ネット上では上記やりとりがかなり話題になり、芸能レポーターという職業に対してどう思うかなどさまざまな意見が交わされているようである。